Elliot Erwitt….
酷暑の名残、京都の町並みをてくてくと行過ぎる。と、ぽつぽつ雨。
「これくるよね、本降りくるよね」
一緒にいた写真家Aさんと寺の参詣道を急ぎ足で登っていく。にぎやかな通りだから、雨宿り出来そうな場所があるかも。にしても、ハラ減ったねーと話しながら、通り沿いの店を探す。
登り切ったところで、やはり本降りになった。傘を忘れたぼくらは、蒲鉾屋の軒下へ飛び込む。
しかしマイったよな。大気のアロマはうそをつかない。降る前の匂いしたよね。あのさ、目の前の店、ギャラリー茶房だかなんだかってあるけど、そこで珈琲でも飲まない? 待ってりゃ、やむしさ。
エリオット・アーウィットの写真展に行ったんだった。案内してくれたのが実をいうとAさんなのだ。アーウィットはマグナム・フォトの会長だった人。ルポルタージュと広告とアートの領域で洒脱な仕事をしているという、雲の上の存在だ。
誰もが目にしたことのあるイメージばかり。ホワイトハウスの執務室、あるいはアーリントン墓地で悲しみにくれるJFKの未亡人。地下鉄のエアベントで風に巻き上げられたスカートを押さえるマリリン・モンロー。リチャード・ニクソンと対話するニキータ・フルシチョフ。こうした著名人のスナップのほか、ヒトとイヌのふれあいを描いた作品や古きよきパリのストリート・フォトなど、どれもゆるぎない写真の美にあふれている。
決定的瞬間などという言葉をふと思い浮かべる。「決定的瞬間を撮るには決定的瞬間を撮りうる場所にいなければいけない」と沢田教一はアタリマエのことを言った。で、アタリマエのように戦場で死んだ。沢田は戦闘の最前線を撮るコンバット・フォトグラファーだった。一方、これの対語でウォー・フォトグラファーというものがある。こちらは戦争の背景や被災民などが被写体だ。テレビで見かける戦場カメラマン氏には悪いが、あっさり言うと「度胸」の違いだろう。
さて、アーウィットといえば、とにかく、ユーモラスでウィットがあって、ちょっぴり泣かせる。アタリマエに撮られているはずなのに、それがすごく感動的。作為を感じさせない巧みさ(パーフォレーションがプリントに写り込んでいるのが生々しい)に、プロ中のプロを感じる。ぼくの目指す端っこが、そっくりだ。アーウィットはAさんのお気に入りなんだけど、さすが。