i love kenneth josephson.
his work is amazing and his view on the simplest subjects is rather inspiring. these are three photos from my favorite collection of his.
ケネス・ジョセフソンの「ニューヨーク州,1970」。この写真を見てピンときた人は同類だ。作品集「イメージの中のイメージ」(Images within Images)のワン・カット。そう、ルネ・マグリットの「これはパイプではない= Ceci n’est pas une Pipe」と見事なまでにコンセプトが同一なのだ。

シカゴの現代美術館のサイトにもこの作品とマグリットの類似点を指摘する一文がある。船の写真? いや写真を撮った写真だけど、写真の中の写真はやっぱり船だし、「船の写真」という事実は変わらない。でも、もっといえば「写真の写真」というのも間違いではない。異なる複数の事実が混在する点が、不確実な事物と言葉の関係性を象徴しているのだ。これは多くの批評家が指摘するように「エピメニデスのパラドックス」かもしれない。
――ある日クレタ人の男は、こう言った。「すべてのクレタ人は嘘つきである」と。
ということは、クレタ人であるその男は嘘つきであり、このテクストは嘘であるということになる。つまりは「すべてのクレタ人は嘘つきではない」ということになってしまい、その男はやっぱり正直者だったんだとなってしまう。いやまてよ、さっきまで嘘つきだったよな――。延々と考えるうちに、どうしても矛盾に突き当たってしまう。
こうした例を初歩の論理学で「自己言及のパラドックス」というらしい。確かに思い当たるフシはある。周囲の人の話を聞いていて、その人じしんに話が及ぶと、なんだかマユツバになってくることが多い。「俺は約束を破ったことはない」とか「ワタシってもともと無口なんですよ」とか。自分を語る場面で、多くの人は案外そうしたハタンに気付いていない気がする。
ジョセフソンのこの作品だが、つい先日、生で見る機会にめぐまれた。京都で開かれていた「モホイ=ナジ/イン・モーション」の併設展「ニュー・バウハウスの写真家たち」だ。メーンの展覧会の会場を出て、併設展に行くと、おお、アーロン・シスキンやハリー・キャラハンの写真があるではないか。順番に見ていくうち、代表作の数点が架かっていた。まったくの偶然。ナジとジョセフソンはぼくの頭の中で、まったく別物だったから、リンケージしたことが、とにかくおかしい。